性暴力被害者の支援に携わる人がねぎらい合える場を広げる


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○「共感」が生む苦しみ
 
 性暴力やDVの被害者のための相談窓口やカウンセリングルームなど、対人援助の現場では「二次受傷」という言葉が浸透し始めている。二次受傷は、「代理受傷」や「共感性疲労」とも呼ばれるが、事故や災害、暴力などの被害者のトラウマを聴くことで、直接の被害者でないにもかかわらず、被害者の痛みや苦しみを受け取りすぎてしまうことだ。性暴力の被害者の相談を聴き続けると、自分も同じような暴力を受けるのではないかという強い不安感や恐怖心を抱えたり、性暴力に関わる話を聴きたくなくなったりする。それだけでなく、不眠や食欲不振、腹痛といったストレス性の症状が出ることもあるし、鬱状態になってしまうこともある。誰かの苦しみや痛みを分かち合い、回復の道を一緒に探そうと、問題に真摯に向き合う支援者こそ陥りやすいといってもよいかもしれない。

○「被害者が第一優先」の中で置き去りになる支援者
 
 このような二次受傷に対して、さまざまな研修や講座(イベントはこちら)が開かれている。二次受傷とは何か、二次受傷を防ぐためにできるセルフケアとは何かといったことが伝えられ、それを通して二次受傷の深刻さがより共有されていくだろう。しかし、トラウマを聴き続けることで二次受傷が生じうることを知っても、トラウマを聴き続けることをやめるのは難しい。日々新たな被害者が相談に訪れるのに、自分だけ休んではいられないのだ。何よりも、被害にあって一番苦しいのは被害者なのだから、脇で聴いているだけの自分が倒れている場合ではないのだ、と考えてしまうかもしれない。

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○支援者がいてこそ、「理解される」場ができる
 
 しかし、見方を変えてみてはどうだろうか。確かに、被害者が一番つらく、苦しく、混乱しているのは間違いないだろうが、支援者が倒れてはいけない理由は「被害者ではないから」ではないだろう。支援者は、被害者を支えたり、勇気付けたり、被害者に必要な情報や支援を提供したりするためにいるから、倒れてはいけないのだ。暴力の被害者、特に性暴力の被害者は、被害を誰かに相談するのが難しいと言われている。つまり、自分に起きた出来事やこれから何をすればよいのかを相談したり、苦しみや怒りをぶつけたりして、誰かに共感してもらったり理解してもらったりする空間を得にくいのだ。そこに、支援者の存在意義が生まれる。支援者がいてはじめて被害者は、自分が理解され支えられる空間があることを知り、その経験を通して、もう一度誰かを信じたり、一人ではないことを知ったりする。確かに、被害者の痛みや怒りを支援者が完全に共有することはできないし、支援者が被害者の代わりにその人生を歩むことも不可能だ。しかし、たとえ支援者が被害者の人生に関わるのが一時的であっても、支援者は相談されにくいことを聴ける希少な存在だからこそ、自分自身を労っていいし、自分自身の生活を安定させることを第一優先させていい。

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○支援者がねぎらい合える空間とは?
 
 支援者それぞれが独自のセルフケア法を持っているに違いない。旅行や買い物で気分を晴らしたり、スポーツで気分を変えたりするかもしれない。けれども、そうした最中にも被害者のことが気にかかったり、自分だけ生活を楽しんでいることに罪悪感さえ抱いたりすることもあるだろう。加えて、相談内容は他では話せないから、その苦しみを自分だけで抱え込まなければならないことも、支援者を孤立させるだろう。そんな時には、同じ機関や施設で働いている支援者同士や、同じような支援をしている別の機関の支援者と集い、互いに労えるといいだろう。支援者同士だから、抱えている苦しみを共有しやすいし、失敗や至らなかったところを前向きに次に繋げる方法も見つけやすい。
 諸外国では、専門家を支援する専門家「スーパー・ヴィジョン」が浸透しているが、日本では活用され始めたばかりだ。性暴力被害者支援となると、支援者を養成するだけで手一杯で、支援者をさらに支える人を探すのは困難を極めるのが現状だ。それならば、「ピア・グループ」や「ピア・スーパー・ヴィジョン」といわれる仲間同士の集いを広げていってはどうか。苦しみや痛みを自分だけで抱え込まない空間を身近に作っておくことで、自分自身を守りながら、誰かを支え続けることができるはずだ。

☆ピア・スーパー・ヴィジョンに取り組む団体:Center for HEART

(ライター:Asako)

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